ルパン

美術館のほど近くにある古書屋に連れられた。

外にも本が並べられている、というよりも収まりきらないものが波のように溢れざんばらで、一見で入るには少し戸惑う面構えだ。

私はいつも古書屋に入ると、気持ちがあまり落ち着かない。びっしりと並べられた本たち、本特有の埃の香り、その歴史に物怖じする。私はお呼びではないのだと言われているような気持ちになる。

同時に、私の居場所はもう一生ここにしかないのかもしれないと思う。

どうしようもないさびしさを本の海の中なら愛せるような気がする。

本は好きだ。でも読むのにはずいぶんかかる。

 

ここは美術関係者がよく立ち寄るのだという。

店は狭く、本棚と本棚の隙間には人一人しか通れないほどに本が密集している。

体を横向きにしないとぶつかってしまいそうな場所もある。

入り口すぐにほんの小さな机とも言えない木箱と椅子が置いてあり、古書屋の主人はそこに座っている。

その場で500円のビールも飲める。煙草も吸える。

とうに黄ばんでしまったすべては体には馴染み深い。

 

ロマンスグレーの長髪と髭を蓄えた主人は「ルパン」と呼ばれているらしい。

由来は聞かなかったし彼も言わなかったが、高い身長と棒のようにどこまでも細長い手足を持つその体はアニメで見たルパンのそれに近い。

彼は60歳にも70歳にも80歳にも見える。

私が一目みて手にした写真集と詩集をみて、私と初めて会うルパンは「彼女はそういう人なんだよ」と言った。

 

ルパンと話していると、驚くことに出身地が全く一緒であった。

出身の小学校まで同じ。だが彼の口ずさんだ校歌は私の知らない古風なもので、私の時代には変わってしまっていたのだった。

彼のころには、まだ船を家としていた同級生が何人かいたらしい。

 

かの遊郭街の話をして、まだ例の映画館はあります、今ストリップ劇場は無くなってしまいました、と言うと嬉しげにも残念にも思える顔をしていた。

無限の本に囲まれながら煙草とビールを片手にしばらく過ごした。

私ぐらいの年齢の女性が一人でたまにくると言う。ルパンは魅力的な男性だ。

またおいで、と言われて、また来ます。と言った。

一人で来るには少し勇気がいるだろう。

 

高いヒールを履いた。本日たいへんに歩くのはもう予想通りだった。

でもこの服にはあの靴がよく映えるよと言われたのでそうした。

私は平らな靴でもよかった。でもそう言われると私は言われるがままだ。

この服にはあの靴が一番よく映えるのがよく分かっているし、ひとから見て、よく見えることが大事だと思ってしまう。

足が痛くなることがわかっているのに、替えの靴を持ち歩くのは、可愛い小さな鞄にはとうてい入らないし、見合わなくてやりたくない。

最近は何が恥ずかしいことなのかよくわからない。

 

私はもうひどく疲れていて、足が痛い。

最寄り駅までの路面電車はとうの昔に終電が終わっている。

家まで歩くかタクシーに乗るしかないが、歩くほうを選んだ。

 

コンビニでコーヒー牛乳を買って、高いヒールを脱いで裸足で歩く。

脱いでも痛いことには変わりない。蓄積された痛みなのだから当然だ。

見兼ねた連れが履いていた靴を片方貸してくれた。

街灯しかない道を片足裸足に片足靴を履いて、引きずるように歩く。

路面電車の二駅ぶんは、思いの外遠い。

 

うっすらと金木犀の香りがして、私は私が情けなくて、涙が出そうだ。

うまれついて、私の中の情けなさと同軸に愛おしさがあることを、足の痛みが嫌というほど伝えて来た。

 

この先も、ずっとそうなのだろうか。いやそうに違いないのだ。

だからこんなにもあつくこみあげてくる。 

 

もうずっと情けなく、愛おしく、この先もずっと抱きしめたり抱きしめられたりする。