ソーセージとトマトジュース

今日は久しぶりに米を炊いた。

全国的に類まれなる酷暑のようで、とくに京都は殺人的な暑さにも関わらず、私はひがな、クーラーのよくきいた自宅とそこから徒歩五分のアトリエへの行き来しかしない上、日が昇ると就寝し、日が暮れるころにやっと外に出るため実感がほとんどない。

ツイッターをみていると、熱中症への注意喚起がなんども文言がかわって流れてくる。

たくさんのひとが流れてくる。

 

ひとの家にお邪魔した。

海がほど近く、最寄りの海へ行った。夕暮れでもないのに雲のむこうがうすくピンクがかったふしぎな色の空をしていた。その海岸全体の彩度が、まるでソフィ・カルの作品のようだね、と笑った。

地元の人しか訪れないらしく、ほんのすくない人たちだけがぽつぽつといる。

背中に刺青がびっしりと入った人が妙齢の男性にも、私よりも若い女性にもいて、居心地が良かった。

波はあらく、海水はひどくつめたかった。その波間に私は二度入ることが限界で、駆けて海に飛び込むひとをパラソルの下でみているほうが性に合っている。

ひとを待つあいだ、私は自分のために自分でもっともだいじにしていたものを壊す作業にはいった。

砂の城を作っていた。いっしょうけんめいに作った。自分ができるかぎりに、りっぱに作った。しかし、それは確信めいた予感だったので、壊さずにはいられなかった。

海にさらわれることよりも、いくらかましに思えたのだった。

しかし、案の定見事に壊れてしまい、今は壊れたものを城だった砂を掌において「こわれてしまった」と泣いてばかりいる。

 

砂の城をいっしょうけんめいに作っていた。りっぱに作った。海にさらわれるまえに自分で壊した。

もういちど砂の城を作ることができるのかわからないまま、あれからもうずっと、日に焼けてしまった両腕がじんじん痛む。

 

ひとにもらったおおきなキーホルダーをつけた自転車の鍵をしばらく無くしていた。

おおきなキーホルダーなので、これでとうとう無くすことはないだろうとつけたのに、ゆうに2週間は姿をくらまして、今日やっと見つかった。

なんでもないようなところにあった。どうして2週間もみつからなかったのか、ほんとうにぜんぜんわからないほどだ。

見つかってよかったと思う。

腕が痛い。